商品コード: T-lamb-s00 - 切手ラムボルギンイ Lamborghini 完全セット/様々な大ぞろいのセットシート ー 小売価格 ¥800
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T-lamb-s00
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もともと、ランボルギーニ社は農業用トラクターメーカーだった。軍用車を盗み、そのエンジンからトラクターを作り巨万の財を築いた過去がある。大富豪となったフェルッチオ・ランボルギーニ氏は富の象徴のフェラーリオーナーとなるが、当時フェラーリにはクラッチに決定的欠陥があった。 ランボルギーニが自身の愛車のクレームをフェラーリ社に持ち込んだ際、門前払いに近い対応をされた。このことに腹を立て、フェラーリを見返すために最高のスポーツカーを作ろうと自動車の生産をはじめたと言われる。 (なお、ランボルギーニが愛車の修理をフェラーリに頼んだところ、小さな部品一つでも驚くほどの値段を取られた所から『この商売は儲かる』と自身もスーパーカーの生産販売をはじめたという説もある。こちらの話の方が尤もらしいが、前者の方が圧倒的に有名ではある。) (もう一つの説として、フェラーリのクラッチを注文したところ、自社で製作しているトラクターと同じクラッチだったことから、フェラーリもトラクターも同じなら、それを越える車を作るという経歴になったという話もある。)
エンブレムの由来
ランボルギーニ社のエンブレムは猛牛であるが、由来については創設者のフェルッチオ・ランボルギーニの星座が牡牛座だったからという説がある。また、フェラーリの跳ね馬のエンブレムに対抗したという説もある。
人物
フェルッチオ・ランボルギーニ
ジオット・ビッザリーニ
ジャンパオロ・ダラーラ
パオロ・スタンツァーニ
マルチェロ・ガンディーニ
ボブ・ウォレス
過去の主な車種
350GT
400GT
イスレロ
ハラマ
エスパーダ
ウラッコ
シルエット
ジャルパ
LM002
ミウラ
イオタ
カウンタック
ディアブロ
ブラボー
チーター
現行車種
ムルシエラゴ
ガヤルド
モータースポーツ
かつては創業者のフェルッチオが「レースには出ない」ことを社是としていた。
F1
クライスラー傘下に入った後の1989年に、ラルースチームへのエンジン供給の形で、F1グランプリ参戦を開始した。
1990年に、メキシコで結成されたチーム「グラスF1」向けにF1マシンを含めて製作を行っていた。エントリーが認められたものの、グラスF1設立を提言したメキシコ人の富豪が資金を持ち逃げしたこともあり、資金が底をつき参戦困難となった。これによる参戦キャンセルによる違約金支払を回避するために、ランボルギーニが実質的なワークス・チーム、モデナに再編成して参戦した。しかし、マウロ・フォルギエリが設計したマシンは時代遅れもはなはだしいもので、目立った成績をあげることはなく、同年に撤退した。
1993年にはエンジンを再設計しパワーアップ、翌年のエンジン供給を考慮してマクラーレンがテストを実施したものの、マクラーレンはプジョーとの提携を選び、この結果ランボルギーニはF1を去ることとなった。
なお、鈴木亜久里が日本グランプリで日本人としてはじめて3位入賞した時のエンジンがランボルギーニであった。
供給したチーム
ラルース - 1989年〜1990年、1992年〜1993年
ロータス - 1990年
リジェ - 1991年
モデナ - 1991年
ミナルディ - 1992年
スーパーGT
スーパーGTには、JLOC(Japan Lamborghini Owner's Club)より、全日本GT選手権の初期から参戦している。当初は漫画家の池沢さとし氏がドライバーを務めた。参戦時のマシンはカウンタックであったが、1995年にディアブロ、2004年からはムルシェラゴにて参戦している。ランボルギーニ社も全面的に協力しており、このレースのためにディアブロ以降のマシンをワンオフ作成している。2005年からはGT300クラスにエントリーし2006年第1戦にて初優勝した。ちなみにランボルギーニがFIAの国際格式レースで優勝したのはこれが初めて。
ル・マン24時間レース
上記のJLOCが、2006年のル・マン24時間レースにメーカーワークスチームとして初参戦。2時間を残してチェッカーを受けられず完走とはならなかったが、クラス8位と健闘した。